躁鬱の間に
2013年11月21日「長いスパンの躁鬱病」と診断された時は、なんだか納得の行った私がまた駄文を書きにきましたよね。
ポジティブ面が図々しい私は、「ああ、初めてのウツを乗り越えたあとの、自分のソウ状態の時、なんか、まだ苦しんでる人に、どう乗り越えたか、様々な手段を伝えれば、ほんの少しでも、ヒントになるかなあ…なったらいいなあ」とか思ってたけど、それも、なんか違うかったのかなあ、だから、間違ってたから、またウツ期がきたのかなあ。
とか、考えてみました。
ややこしくてすんません(;´∀`)
でも、またそうなって、やっぱり、「己のココロを治すには、己のアタマが説き伏せるしかないかなあ」とか、思っちゃうのです。
でっ、気が乗った時に、ふいに、己の手の中のガラケー(今や、ゲームと時間みるのにしか使ってない…ゲームウォッチか?)で、検索、検索。
とにかく、この厄介なココロの病患者を、同一人物である、脳にいる医者のたまご?は、助けようと、色んな情報をみるわけですよ。
まあ面倒だったり気がむかないヤツは華麗にスルーしますわね(笑)
でっ、「躁鬱病患者は、自分年表をかいてみると良い」と、書いてあるのに興味をもち、
なん週間前からか、気が乗った時だけ、ゆっくり、書きはじめたのですね。
しかも、辛かった部分は、簡潔にサラッと。
楽しかった部分は、詳しく笑いまじえ。
ただ、現代に近づくにつれ、「え…そこらへんは、まだ書けない」とか思い。
まあそれ含め主治医に伝えると、「いいんじゃないですか?それで(^ー^)」と。
てか、メンタルの病をもつ同志よ、
自分のペースで、が、一番いいと思う。
それで、「〇年経ったのに、治らない!」と悲観しちゃいがちだけど、「〇年前には出来なかった事が、ちょっとずつ出来はじめている!」って、考え方が良いと思うのです。
あーあ、また、当たり前だし、響かないような拙い文章になってもーたf^_^;
ではまた。
ポジティブ面が図々しい私は、「ああ、初めてのウツを乗り越えたあとの、自分のソウ状態の時、なんか、まだ苦しんでる人に、どう乗り越えたか、様々な手段を伝えれば、ほんの少しでも、ヒントになるかなあ…なったらいいなあ」とか思ってたけど、それも、なんか違うかったのかなあ、だから、間違ってたから、またウツ期がきたのかなあ。
とか、考えてみました。
ややこしくてすんません(;´∀`)
でも、またそうなって、やっぱり、「己のココロを治すには、己のアタマが説き伏せるしかないかなあ」とか、思っちゃうのです。
でっ、気が乗った時に、ふいに、己の手の中のガラケー(今や、ゲームと時間みるのにしか使ってない…ゲームウォッチか?)で、検索、検索。
とにかく、この厄介なココロの病患者を、同一人物である、脳にいる医者のたまご?は、助けようと、色んな情報をみるわけですよ。
まあ面倒だったり気がむかないヤツは華麗にスルーしますわね(笑)
でっ、「躁鬱病患者は、自分年表をかいてみると良い」と、書いてあるのに興味をもち、
なん週間前からか、気が乗った時だけ、ゆっくり、書きはじめたのですね。
しかも、辛かった部分は、簡潔にサラッと。
楽しかった部分は、詳しく笑いまじえ。
ただ、現代に近づくにつれ、「え…そこらへんは、まだ書けない」とか思い。
まあそれ含め主治医に伝えると、「いいんじゃないですか?それで(^ー^)」と。
てか、メンタルの病をもつ同志よ、
自分のペースで、が、一番いいと思う。
それで、「〇年経ったのに、治らない!」と悲観しちゃいがちだけど、「〇年前には出来なかった事が、ちょっとずつ出来はじめている!」って、考え方が良いと思うのです。
あーあ、また、当たり前だし、響かないような拙い文章になってもーたf^_^;
ではまた。
コメント