彼氏(もしくは、だんな)と別れて、
思い出 に 泣く ということは
映画をみて泣くのと ある意味 同じなのです
もちろん、あのとき…イコール、「過去」では、それは「現実」でした。
でも、
「現在」では、もう、それは、「現実」ではないのです。
「過去」に、愛し合っていたのは「現実」、でも、それらは、「現在」の「現実」ではないのです。
…と、私の「あたまさん」は、必死で「こころちゃん」に、語りかけます。
「あたまさん」だって、冷静なようにみえて、とても辛いのです。
なぜなら、「思い出す」のは、ほかならぬ「あたまさん」だからです。
「あたまさん」の記憶や思考は、すべて「こころちゃん」に伝わってしまいます。
そして「こころちゃん」は、
「こころちゃん」は、
「こころちゃん」の、「喜怒哀楽」という、4文字だけではあらわせない、、
己の存在を
「あたまさん」に解ってもらうことは、とても、難しいのです。

だけど
だけど
「あたまさん」は
あきらめない。
いろんな方法を
さまざまな角度から
さまざまな分野から
とにかく、たくさん、たくさん、集める。
しばしば、そんな、自分のために頑張っている「あたまさん」に、罪悪感を抱き、「もうやめて!からださまが、あなたにもわたしにも、共存が難しいかも…って、いまにも、終わりたそうよ」
すかさず、あたまさん
「いいえ、わたしは、終わらせないために、探しています。
そして、からださまは、
こころちゃん、あなたさえ、本当の本心で、いま

喜んでくれれば
からださまは、終わりを選びません」

…ああ、続きは、また(笑)

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